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2006/06/30

ごちそうさま

街角はごちそうほらね始まりの匂いがしてる一緒に行こう


会社の帰り道、駅のホーム。
乗り換えの駅で降りるとすぐそばで、
OLさんと若いサラリーマンが何かもぞもぞやっていた。

異様な感じだったのでよく見てみると、
女の人の持っている傘の閉じる紐?が、
サラリーマンの黒いバックにひっかかっている。
それを二人が解こうとしているようだった。

見た感じ、二人は知り合いではなくて、
偶然、満員電車でそれらがひっかかってしまったんだろう。
焦ってがさごそやっていた。

わたしはと言えば、そこから一瞬で、
限りない宇宙的な妄想が始まってしまった。
天王星まで。

二人のその後はもちろん知らないけど、可能性は無限大。
許可もなくストーリーを展開させてしまった。
BGMは小田和正さんにぜひやっていただきたい。
小田さんの歌って、ドラマをもっとドラマにするもの。好き。

あぁ。
二人を見てドキッとした感じ、こういうのって、たまらない。
プチ奇跡とか、始まりの予感のためなら、何かを我慢したっていい。
それが自分のことだったら最高だけど、誰かのものでもいい。

ただこればっかりは突然ふいに手に入るものだから、何を我慢したらいいかわかんないんだ。

何にも努力しないでこんなにもドキドキを味わえて、ラッキーだったなぁ。

やっぱり街にはご馳走がころがっている。

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2006/06/26

おしゃべりおしゃべり

冷えきったグラタンみたいなおしゃべりでへってしまった気持ち、ごめんね


そのとき、お話していたお相手は、気合いやパワーをそのまま隠さないでぶつけてくる人だった。
素直で情熱があって世界を変えたいから他人も自分のようにあるべきだと思っている人だ。

改めて捉え直してみると、魅力的な人なんだなと感じる。
波長さえ合ってしまえば大好きになるかもしれない。
でも、そのときのわたしにはちょっと変な磁場でしかなくてバランスを崩して半べそをかいていた。

その人の話はもっともで、反論するところはなかったけれど、あまりにわたしの「形」と違うので、自分のことについて話されていると感じるまでに時間がかかってしまった。

今思えばビジョンが違いすぎている。
そのビジョンに勝負や大小や正誤や善悪はないんだけど、その「表現力」によって、わたしは負けていたし、小さかったし、間違っていると思わされたし、それは悪なんじゃないかと思い悩んだ。

そんな風に感じていたから、わたしは言う必要もないことを話した。
一般的には些細な内容だけど、わたしがその人に話す必要はなかったことだった。

帰ってきてシャワーを浴びているとき、すりへった気持ちに気付いた。
あまりに安易なおしゃべりのせい。

the自業自得。

話すということは必ずしも足し算じゃない。
守るべきことを守らないで、わたしの気持ちよ、ごめんなさい。

不注意はどろぼうのはじまりだ。

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2006/06/16

約束

誰かの短歌を読んでみる、その2。

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たわやすく翳る契りなら生きろ我 本の中永久(とわ)の言葉に
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にょろこさんの短歌です。

文語短歌ってすごいですね。
それだけで迫力が出ますね。すごみがある。漢字のすごみですかね。

さて、こちらの短歌の解説は下記です。
ご本人談。
「簡単にかげったり、移ろってしまう約束ならば、移ろいもせず、人を裏切ったりもしない本の言葉の中でのみ生きていったらいいさ、というニュアンス」

そのニュアンス、分からなくもないですね。
でも、わたしはちょっと考え方が違うかなぁ。

「約束は要らないわー、果たされないことなど大嫌いなのぅ」
って椎名林檎さんは歌っていましたね。
歌っていると気持ちがいいんだけれど。

わたしはこう思います。


「約束」は果たされなくて別にいい「約束すること」を果たしたいだけ

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2006/06/12

片桐はいりさんとW杯。

何人かあなたがいれば何回も会えるね独り占めもできるよね

俊輔のシュートも一人で見るだろうどっかであなたも見てるんだろう


この前、電車で「片桐はいりさんを見た」という人の話を聞いた。他人の話を盗み聞きした。

そういえば、去年友達も「片桐はいりさんを見た」と言っていた。劇場で見たらしい。

そうしたら、さっき偶然、漫画家のしまおまほさんのブログ「似顔絵四コマ劇場」に「片桐はいりさんを見た」という内容が!

どんだけ出没してんの、片桐はいりさん。

それはどうだっていいことなんですけれど、しまおまほさんの4コマブログは楽しいです。先日「現代のテレビでやっている笑いのほとんどはあるあるネタである。どうりでつまんない」ということに気付いたのですが、テレビでよく見るあるあるネタと違って、しまおさんのあるあるネタってくすぐったくていいです。

短歌は、片桐はいりさんのこととは関係なく、「もし好きな人のコピーがいたら、会う確率もあがるのに。せめて2人いてくれたら、わたしのところにも会いにきてくれるかもしれないのに」なんてちょっと恐ろしいことを空想して書きました。

今夜はワールドカップですね。

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2006/06/09

kanameさんの。

浅野いにおさんで持ちきりではあるのですが、なんとなく、今日から「誰かの短歌を読んでみる」というコーナーを始めます。

その1
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君の笑いかけている先が僕じゃなくても
止めようもなく滲みてくる恋の横顔
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にょろこさんの「写真で綴る徒然日記」に書いていたkanameさんの作品です。

「恋の横顔」というのがいいですよね。
可愛らしい言葉だなぁと思いました。

描かれているスピリットも好きです。
自分に笑いかけてくれなくたって、その人の笑顔はとても素敵なんだと思います。

さて、早速ですが、kanameさんには是非、短歌の入門書である「かんたん短歌の作り方」をご紹介したいです。
誰でも短歌が書けるようになる魔法の本です。
ひとまず枡野さんを師匠にするといいですよ!

この本でも書かれている短歌の基本原則は「定型にはめる」ということです。
57577の波にのるのって気持ちいいですよ。サーフィン。

その点を踏まえてちょっとこちらで考えてみました。

その1:
君の笑いかけてる先は僕じゃない止まらず滲む恋の横顔

最初の5が6になっていますが読んでみて違和感はないのでOKじゃないでしょうか。
でも、意味が繋がらなくなってしまっていますね。

その2:
ぼくじゃないどこかを見てる横顔がひしひしぼくに滲んでしまう

はどうでしょうか。
思い切って「恋の横顔」をやめてみました。
もったいないけど。

これでも「恋」っぽさは残ると思います。
ただ、笑顔でなくなった分、ちょっと悲しい顔を思い起こさせるかもしれませんね。
このときは「僕」を「ぼく」にすると、可愛さが出て、悲しさが弱まるかと思います。

それから「ひしひし」の部分は、通常では使わない言い回しを使うのが楽しいのでやってしまいました。
国語の先生には怒られますね。
怒られましょう。廊下に立たされてしまいましょう。

その3:
僕でないどこかに笑いかけている顔は横顔恋の横顔

…これだとちょっと意味が変わってしまうかしら。
でも「顔」「顔」「顔」が韻を踏んでいて気持ちいいですよね。
短歌はヒップホップなんです。

ふう!誰かの短歌をぐちゃぐちゃにしてしまった!
kanameさん、お許しを!
ぜひ短歌を好きになってくださいね。

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2006/06/07

浅野いにおさんの漫画3(最終章?)

さよならを追いかけてゆくさよならを認めてしまった証拠だけれど


宿題提出日です。一日遅れですが。

テキストは浅野いにおさん「ソラニン」。
kanameさんの模範解答は前回のトピックスをご覧ください。

問1 「ソラニン」の歌詞、最後の四行。

三十分ぐらいうんうん言いながら考えましたが、考え付きませんでした。
よって今日の短歌を提出します。

kanameさんのを見てみると、このお題は「自分にとって〈さよなら〉とは何か」という気がしたので、このような短歌にしました。

わたしにとって過去は追いかけるもの。
素晴らしい過去ばかりがあるのでつい。

kanameさんはポジティブな方なんですよね。
さよならは始まり!しかもそれしかないからさよなら!

心底わかります。

問2 共感したところ。

芽衣子がテレビを投げ付けるところ。
「たくさんのもしもがあたしを襲ってくる」のくだり。

自分のせいではないことで自分を攻めて憤る。
この憤りはあまり意味のない、憤ったところでどうなるもんでもないもの。

だからテレビでも投げなきゃやってらんなかったはずだなぁと思いました。
わたしが芽衣子でも投げます。
こういう辛いときに暴力的になってしまう瞬間って、共感してしまいます。

河原でのビリーと芽衣子の泣きシーンはキレイですよね。
なんとなくkanameさんはビリーみたいな人なんじゃないかと思っています。
一緒に泣いてくれそうだから。

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2006/06/02

浅野いにおさんの漫画2

こんな日に限って雨が降ってくる絶望の中でもプチ絶望


浅野いにおさんの「ソラニン」についてkanameさんがいろいろ語ってくださったので、わたしも改めて思いをめぐらせて、また新しく短歌を書いてみました。

この漫画は、プチ絶望について書いてるように思いました。
今は「絶望の重さが軽くなってる時代」であると感じざるを得ませんでした。

自分も含めて、若い人が弱ってきているんですね。
それは、感受性が鋭いという言葉で語れる範囲じゃないと思います。

わたしに限って言えば、
絶対に弱いままでいたくなんかないです絶対。
もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対。

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