阿佐ヶ谷スパイダース「失われた時間を求めて」
万が一失われたら取り返すだけのことです 彼も時間も
阿佐ヶ谷スパイダースの「失われた時間を求めて」を観劇した。
今回は阿佐スパメンバー三人(長塚圭史、中山祐一朗、伊達暁)、
あともうひとりは、奥菜恵。
会場のベニサンピットは、学生演劇の箱かというぐらい狭い。
10列ぐらいだからキャパは200人ぐらいでしょうか。
そして、内容も学生演劇みたいだった…!
四人の、あるようでない関係性と、意味深なセリフ、
何かしらの役割が分かれているであろう壁で仕切られた舞台。
そもそも四人に共通する時間が存在していない模様。
ストーリーもなく、哲学的なムードが漂っていた。
こういうのって、学生演劇によくありませんか。
とにかく超不穏。
耐えきれず寝ているお客さんが続出していた。
私は意味を読み取ろうと脳に汗をかくような想いで見た。
だってね、好きだから、信じているから。
でも、意味は、分かり切っていないと感じている。
一番印象的だったのは中山さんの役の、言い分。
『俺は毎日残忍なことを考えている最低な男なんだ。あんなやつらは死ねばいい、殺してしまいたい。ずっと毎日そんなことばかり思っていた。そして俺は今日ついに行動に出た。大家を家ごと丸焼きにして殺してしまおう、と。ガソリンを用意した、火をつけようと思ったんだ。そして、俺は試してみた。こんなときにどうなるか試してみたんだ。くじをひいてみた。そしたら、これだ、こんなに儲けてしまった(と言って、札束を振りまく)。今から、残忍に人を殺そうとしている人間が!過去最高に儲けてしまった。こんなお金など、俺には意味がない。俺が信じていたものは間違っていた。こうだと信じていたことが、本当はこうだったのだ。俺はどうしたらいいのだ。』
つまり「自分のことなんか神様は見ていない!」という怒りと悲しみ。
それに振り回された命の人のセリフ。
確かに不条理だなあと思うことがこの世にはいっぱいある。
今自分がこうだから明日こうなる、という証明がないように見える。
だけど、私は、くじが当たったことこそが証明じゃないかと思った。
神様がいるかどうかが問題じゃなくて、
自分が自分を助けることができると知るべきだもん。
彼の役が、不憫に思えてなりませんでした。
誰かや何かを試すようなことをする人生は悲しいです。
それでは、あまりにも受け身だからです。
私もつい、相手が自分をどう思っているか探りを入れたりするし、
気付いてほしいと思いながら、表現しないで期待をするだけとか、
器の小さい行動をしてしまうこともあります。
弱いから仕方がないんだけど、そういう行動は「相手ありき」です。
だから、絶対に絶対に、行き詰る。
神様がどうとか、家族がどうとか、他人がどうとか、
自分の人生にどれほどの関係があるのでしょうか?
そりゃあ、ないとは言い切れないけど、あるとも言い切れない。
時間だってそう。時間が経ちすぎたからこうだとか、
時間が足りないからこうだとか、そんなことは言えるのか。
そりゃあ、言えるけど、言ってしまっておしまいでいいのか。
時間を重ねることは、主体性を確立していくことであって欲しい。
そして、自分の力を誰かのために使っていくことを目指したい。
それが真の成長じゃないかと今は思います。
そういう生き方は身近な年配の方が、身で教えてくれています。
お芝居のメッセージは感じる人によってそれぞれだろうけど、
私としてはそんな風に思いました。
これまでの阿佐ヶ谷スパイダース作品と全然違うから、
見た直後は「あれ~?」って感じは否めませんでしたが、
やっぱりよく思考すると何かを受け止めさせてくれる、
そんな阿佐ヶ谷スパイダースがまだまだ大好きです。
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