2008/03/26

独創力-爆笑問題のニッポンの教養を見て

昨日の「爆笑問題のニッポンの教養」を見た方いませんか。

京都大学の講堂での出張討論会。
400人の生徒と主要教授7人と爆笑問題の太田さんが、
激しくバトルしていました。

テーマは「独創力」。

独創力というのは無から生まれるのか。
全く新しい独創力なんてあるのか。
今自分が話をしていることは、
誰かが言ったことの寄せ集めじゃないのか。
真のオリジナリティは存在しうるのか。
そもそもそんなにオリジナリティって良いものなのか。
別にそう思わない人もいるんだけど。
でも、見たこともない新しいものを見たいじゃないか。
それに、何かを創り出すオリジナリティではなくて、
自分だけしかできない「反応」というものもあるんじゃないか。
例えば恋愛だって二人にしかありえない「反応」がある。
恋愛でいえば、相手を好きでありながら、相手を通して、
自分を好きになりたいんじゃないのかと思うこともある。
つまり「滅私」とは「自己表現」ではないのか。

たくさんの問いかけが散らばって、
太田さんが教授と喧嘩して本気で怒ったり、
小難しそうな京大生の話に真剣に耳を傾けていた。
田中さんはぐちゃぐちゃになったときうまくまとめる、
太田さんの素晴らしいパートナー。図太い人だと思う。

相手を理解させようとすると声はうわずって汗もにじむ。
余計に混乱させたりもするし、自分も混乱する。
相手の意見を聞いたら考えが少し変わったりもする。
そういう経験が人を感動させるのだと思った。
そして自分もとんでもなく感動する。
とってもいい経験をテレビでした。

あー、こんな実のある会話というものが、
私はしたいのだった!! 真の触発、だ。
それが人生の目的だと言っても過言ではない。
でもどこか怖くてできない自分もいた。
そういうの、もうやめようと心から思えた。

太田さんは自分のために喋っているようにも見えた。
話に夢中になってテーマを忘れてしまったり、
論理的じゃない論理を展開していたりして、
こちらがヒヤヒヤした。それが気持ち良くて!
やっぱり恐れたりしちゃダメだと感じた。

昨日は、脳がときめきっぱなしだった!
(それで「すべらない話」を見逃す失態…)

だけど、そのインプットが、
人生を美しく変えないのだったら、
いくら本を読んでも、教養番組を見ても、
むなしい。

ときめきを伝播させなければ、
ときめきが持続しなければ、
その場限りの一発芸。

あらゆる余韻を楽しみたいものです。

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2008/01/31

美学―爆笑問題のニッポンの教養を見て

短歌を詠まない記事が続きます。

先日「爆笑問題のニッポンの教養」を見ました。
テーマは「美学」でした。

太田さんが普段から考えていることを
がーっとお話をされていたのが印象的でした。
ゲストよりもおしゃべりでした!

共感したのは、
「あらゆる美は聖書を目指す」
とかいう話。

おおすじはこんな感じ。

 聖書はあらゆる寄せ集めである。
 一人でつくれるようなものではない。
 爆笑問題のネタでも、
 こりゃ、最高におもしろいと感じるのは、
 お客さんもいいとき。
 自分だけではダメだし、
 田中みたいな馬鹿がいてこそ、
 おもしろいんだ。
 色々な力が集まって、いいものになる。
 美ってそういうもの。

だいぶ私の主観が混じっていますが、
そんなようなことを言っていたわけです。

これを試しに、短歌に落とし込んでみる。

私がいくらしゃかりきに、
「うーん、これは言い切ったぞ」
と思うような短歌があったとして、
短歌そのものの完成度以上の「美」が、
人の心の中に起こっているかもしれない。
その時点で作品はもう作者のものじゃない。
そうやって作品は鑑賞されていく。
そのことを認めるとちょっとは楽になるかな。

そんなことを考えていて、もうちょっと飛躍して、
じゃあ、こう言えるよなと思った。

 「美」は発見されなければ決して「美」にならない。

それって当たり前のことだけど、改めて、ちょっとびっくりした。

まだ発見していない「美」の無尽蔵の可能性。
そこに思いをはせるとめまいをおこしそう。
見逃してきた「美」だってあるはずだ。
今、そこにあって、気付かないでいる「美」も。
あえて気付いてたまるかと思っている「美」もあるね。
それはよくあるわ。

あなたの周りにはどんな「美」がありますか。
よかったら、教えてください。そして、気付いてみてください。

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